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高松高等裁判所 昭和58年(ネ)3号 判決 1984年11月26日

昭和五八年(ネ)第三号事件控訴人、

昭和五七年(ネ)第三一四号事件被控訴人(第一審原告)

藤本亀治

昭和五八年(ネ)第三号事件被控訴人、

昭和五七年(ネ)第三一四号事件控訴人(第一審被告)

右代表者法務大臣

住栄作

右指定代理人

武田正彦

森岡澄男

高橋尚城

江渕三千男

榊原耕太

西山準三

主文

一  第一審原告の本件控訴を棄却する。

二  第一審被告の控訴に基づき、原判決中第一審被告の敗訴部分を取り消す。

三  第一審原告の請求を棄却する。

四  訴訟費用は、第一、二審とも第一審原告の負担とする。

事実

第一  申立て

一  第一審原告

1  昭和五八年(ネ)第三号事件について

(一) 原判決を次のとおり変更する。

第一審被告は第一審原告に対し、金一六一七万六九五〇円及びこれに対する昭和四九年一二月一七日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

(二) 訴訟費用は、第一、二審とも第一審被告の負担とする。

(三) 仮執行宣言

2  昭和五七年(ネ)第三一四号事件について

第一審被告の控訴を棄却する。

二  第一審被告

1  昭和五七年(ネ)第三一四号事件について

主文二、三、四項と同旨

2  昭和五八年(ネ)第三号事件について

主文一項と同旨

第二  主張

一  第一番原告の請求原因

1  当事者の地位

第一審原告(以下単に原告という。)は、高知県西南部を流れる一級河川中筋川右岸沿いの中村市坂本地区に居住し、米作、ハウス園芸を営んできた者であり、第一審被告(以下単に被告という。)は、右中筋川の管理主体であつて、後記中筋川改修工事を実施した者である。

2  中筋川改修工事の実施状況

被告は、昭和四年六月一九日内務省告示第二〇二号をもつて、渡川及び中筋川の改修工事を施行することとした。これは、中筋川についていえば、沿岸流域の洪水を防止しようというものであり、当初の計画内容は、洪水が幹川である渡川の河水の逆流に起因していたため、別紙1「渡川管内図」(以下管内図という。)表示の点(中村市坂本)にあつた渡川との合流地点から渡川右岸沿いに下流に向けて一八五〇メートルの延長背割堤を設置し、これに沿つて中筋川を延長し、管内図表示の点の甲ケ峰山塊西側(中村市山路)において渡川と合流させることとし、あわせて中筋川自体についても川幅を拡げて築堤を設け、洪水時の水位を2.9メートル低下させるというものであつたが、その後、昭和一二年八月二一日内務省出土第一三一号通牒をもつて、右計画の背割堤を管内図表示の点(中村市実崎)まで更に二六五〇メートル延長するとともに、甲ケ峰山塊を開削して中筋川を延長し、右点において渡川と合流させ、これにより中筋川の洪水時の水位を当初計画より更に1.95メートル低下させることに計画を変更した。

右工事は昭和一二年以降断続的に続けられ、昭和二九年度末に至つてようやく、背割堤を右点まで延長し渡川との合流点を同点まで移動させ(この状態下の中筋川を以下旧中筋川ということがある。)、更に昭和三九年二月四日には、右点までの背割堤の設置及び甲ケ峰から実崎までの開削を完了し、渡川との合流点を右点まで移動させ、旧合流点の点を閉鎖して右計画の完成をみた(この状態下の中筋川を以下新中筋川ということがある。)。

3  塩害の発生

原告は父祖伝来の慣行水利権に基づき渡川もしくは旧中筋川から表流水を取水して水稲耕作のかんがい用水として利用していたが、右表流水は極めて良質の淡水であつて、米作に良好な成績をおさめていた。渡川には河口から坂本地区付近までの間にいくつかの瀬があり、それに遮ぎられて坂本地区まで塩水が遡上することはなかつた。

ところが、昭和三九年二月に右中筋川改修工事が完了し新中筋川が通水したのち、海水が遡上して表流水に塩分が含まれるようになり、そのため、枯死する稲が続出し、特に昭和四四年以降米作に壊滅的な被害を受けるに至つた。

また原告は昭和四四年ころに自己所有地内に深さ約五メートルの井戸を堀ママり、その地下水(以下本件地下水という。)を使用してきゆうりのハウス栽培を始めたが、この地下水も塩分を含んでいたため、同年以降の耕作に甚大な被害を受けた。

4  塩水化の原因

原告が取水していた表流水が塩水化した原因は、新中筋川の合流地点(点)が旧中筋川の合流地点(点)よりも低くなるとともに、坂本地区付近の水位も約二メートル低下して新合流地点との水位差がほとんどなくなつたため、渡川河口から新合流地点を経て海水の逆流が容易となつて新中筋川が塩水化したことによるものである。

また原告が使用していた本件地下水は、伏流水といわれるものであり、新中筋川の表流水がそのまま地下に浸透したものでほとんど表流水とかわらぬものであるため、新中筋川の塩水化に伴つて必然的に塩水化を来たしたものであり、その原因も新中筋川の塩水化に帰一する。

5  被告の責任

新中筋川の塩水化は、被告が実施した中筋川改修工事によつて生じたものであるから、中筋川の設置又は管理に瑕疵があつたものとして、被告は、国家賠償法二条一項により、新中筋川の塩水化によつて原告が被つた損害を賠償する責任がある。

6  原告の損害

原告は、新中筋川の塩水化によつてかんがい用水に塩分が含まれるようになつたため、農作物の収獲量が激減し、次のとおり合計一六一七万六九五〇円の損害を被つた。

(一) 米作の損害

原告は昭和四四、四五の二年間は62.71アールの水田を耕作し、同四六年から四九年までの四年間は85.70アールの水田を耕作して水稲栽培をしていたが、通常の場合、前二年間はそれぞれ七七万九五一八円、後四年間はそれぞれ九六万二七〇七円の収入を得ることができたにもかかわらず、塩害のため、前二年間はそれぞれ三四万九六四五円、後四年間はそれぞれ四二万五六六八円の収入を得たにとどまり、したがつて、右の差額、すなわち前二年間につきそれぞれ四三万九八七三円、後四年間につきそれぞれ五三万七〇三九円の損害を受けたものであり、その合計額は三〇六万七九〇二円に達する。

(二) ハウス栽培の損害

原告は昭和四四年は一〇アール、同四五、四六年は17.4アールの耕地できゆうりの抑制・促成栽培を行つていたが、通常の場合昭和四四年には抑制で四六万五三〇〇円、促成で八一万八四〇〇円の収入を、同四五年には抑制で一二一万二九七一円、促成で一三五万三一九八円の収入を、更に同四六年には抑制で一一三万七〇三九円、促成で一八五万六六四九円の収入をそれぞれ得ることができたにもかかわらず、塩害のため、昭和四四年には抑制で二八万五六四九円、促成で三四万九〇一四円の収入を、同四五年は抑制で六万一四一二円、促成で二一万九五三八円の収入を、同四六年には抑制で一七万七九二八円、促成で二七万二〇六二円の収入をそれぞれ得たにとどまり、右の差額すなわち昭和四四年につき六四万九〇三七円、同四五年につき二二八万五二一九円、同四六年につき二五四万三六九八円の損害を受けたものであり、その合計額は五四七万七九五四円に達する。

また原告は右のとおり損害が余りに大きいためハウス栽培をやむなく廃止したが、もし右塩害がなかつたとすれば、右17.4アールの耕地につきハウス栽培を継続し得たはずであり、その実施により、毎年、少なくとも昭和四六年の右損害額と同額の利益を得ることができたはずであるから、昭和四七年から四九年までの三年間に合計七六三万一〇九四円の利益を収め得たことになり、右は逸失利益として被告の賠償義務の範囲内に含まれる。

以上のとおり、ハウス栽培を営むうえで原告の被つた損害の合計額は一三一〇万九〇四八円となる。

7  よつて、原告は、被告に対し、右損害合計金一六一七万六九五〇円及びこれに対する本件損害発生後の昭和四九年一二月一七日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否及び被告の反論

1  請求原因に対する認否

請求原因1及び2は認める。同3ないし5は争う。同6は不知。なお、原告に昭和四八年及び四九年に塩害が発生していないことは、原告がその加入する中村市農業共済組合に対し、昭和四八年及び四九年に塩害の発生を通知しておらず、それによる共済金の支払を受けていないことから明らかである。

2  被告の反論

(一) 新中筋川の塩水化について

(1) 河口から塩水がくさび型で浸入し遡上することは、通常どこでも見られる自然的現象である。坂本地区付近の中筋川は、渡川と合流点が昭和三九年に管内図表示の点から点に付け替えられたことにより初めて塩水化したものではなく、右付替え前から水稲に被害を及ぼす程度に塩水化していた。しかるに、その当時坂本地区の水稲に塩害が発生しなかつたのは、くさび型で浸入する塩水は河底を遡上するものであり、当時の坂本地区の取水方法がその表層の流水を汲み上げていたからである。

(2) 仮に坂本地区付近の中筋川が昭和三九年の合流点付替え工事によつて水稲に被害を発生させる程度に塩水化したとしても、次の事情からみて被告による新中筋川の設置・管理に瑕疵があつたということはできない。

中筋川改修工事は、昭和四年に計画され、同一二年その内容の一部が変更され、同年から工事が実施された。その目的は、中筋川流域に毎年のように発生していた洪水による被害を防止することであつた。前記合流点付替え工事も、右改修工事の一環として実施されたものであり、その完成により、中筋川流域は洪水による被害を免れることになつた。原告も、その利益を受けた住民の一人である。

新中筋川流域の住民から塩害問題が提起されたのは昭和四五年初めころであり、それまでは何人からも塩害の指摘が河川管理者になされたことはなかつた。その指摘がなされた後被告は中村市に対し、塩害対策措置費として補償金二四九三万円を交付し、中村市はそれを塩害対策事業に供した。このように、被告には何らの怠慢も存しない。

なお、前記(1)のとおり、河口から塩水が遡上することは極めて自然のことであり、坂本地区付近においても、前記合流点付替え工事の完成以前から渡川もしくは旧中筋川に塩水が遡上していたものであり、新中筋川の塩水化も右と同様の状況が自然現象として顕現したものにすぎない。

以上の諸般の事情を総合考慮すると、新中筋川の塩水化をもつて、河川が通常有すべき安全性を欠如し、その設置又は管理に瑕疵があつたということはできない。

(二) 原告の水利権の不存在について

原告及びその加入する坂本水利組合は、昭和一〇年から渡川の流水を、中筋川と渡川との合流点が昭和二九年度末管内図表示の点から点に付け替えられた後は旧中筋川の流水を、昭和三八年の本件合流点付替え工事完成後は新中筋川の流水を取水してきた。ところで、渡川及び中筋川は昭和三年に河川法(昭和三九年法律第一六七号による改正前のもの。以下改正前のものを旧河川法といい、改正後のものを新河川法という。)の適用河川になつていたから、その流水の占用をしようとする者は同法一八条の許可を受けなければならなかつたのに、原告らは、その手続をとらなかつた。昭和四〇年四月一日の新河川法の施行後右の取水をするには、同法二三条及び二四条の許可を得ることが必要であるが、原告らはそれを得ていない。したがつて、被告は原告らに対し右許可申請をするよう指導すべきであつたが、原告及び坂本水利組合が慣行水利権を有しているものと勘違いし、昭和四二年三月原告らに慣行水利権の届出をするよう指導し、その各届出書を受理した。

以上のとおり、原告らは、流水使用について何らの権原を有することなく取水をしているものであるから、たとえ坂本地区付近の中筋川が本件合流点付替え工事によつて水稲に塩害を発生させる程度に塩水化したとしても、原告は、そのことに対し法的権利を主張することはできない。

(三) 地下水の塩水化の原因について

原告が取水していた本件地下水は、原告主張のような伏流水といわれるものではなく、地表下一〇メートル前後のところに存する平均層厚約一五メートルの第一れき層を帯水層とする被圧水であり、しかも、その平均水位は新中筋川の平均水位よりも高いから、新中筋川から右被圧水への伏流浸透は全く考えられず、それへの定常的涵養源は坂本地区の降水のみである。したがつて、新中筋川が塩水化したからといつて直ちに本件地下水までが塩水化されることはなかつたはずである。

ところで、本件地下水中には古くから塩水層が存在し、従前は、上層の淡水層と下層の塩水層との間にヘルツベルクレンズ(塩淡水境界面)が形成され平衡状態が保たれていた。このような平衡状態については、淡水層の海面上の高さ(水頭)をhとし、ヘルツベルクレンズまでの海面下の深さをHとすれば、H≒40hという公式が成立する(ヘルツベルクの法則)。これによれば、例えば、水頭hが東京湾中等潮位(以下(TP)と表記する。)一メートルであれば、ヘルツベルクレンズは(TP)マイナス四〇メートルに存在することになる。これに対し、水頭hが(TP)〇メートル以下となれば、右のような平衡状態は失われ、被圧水はすべて塩水化されるといわれている。

これを本件地下水についてみると、その水頭は、中筋川改修工事の完成前においても(TP)〇メートルを若干超えている程度であり、仮にこれを(TP)0.01ないし0.1メートルと推定すれば、ヘルツベルクレンズは(TP)マイナス0.4ないし四メートルに存在していたことになり、いずれにしても本件地下水中の淡水層は極めて薄いものであつたことがうかがわれる。したがつて、このような被圧水を揚水する場合には、水頭が(TP)〇メートル以下に低下する事態が容易に生じるので、これに対する注意がとくに要求されるところであつた。しかるに、坂本地区においては、昭和四四年以降、高知県中村農業改良普及所の指導のものに順次米作からハウス栽培に転換され、その作付面積の急激な拡大に伴つて、かんがい用水としての地下水の揚水量も増加の一途をたどり、原告においても昭和四四年以降自ら井戸を設置して本件地下水を揚水していたが、水頭の低下に対する配慮ないし措置は全く行われなかつた。このような原告らの漫然かつ多量の揚水の結果、本件地下水の水頭が(TP)〇メートル以下に低下し、ヘルツベルクレンズの破壊を招き上層の淡水層が塩水化したものである。

以上のとおり本件地下水の塩水化は原告ら自らの責に帰すべき行為により招いた結果というほかなく、右塩水化と中筋川改修工事の完了との間には何らの因果関係も存在しない。

三  抗弁

仮に被告に原告主張のような損害賠償義務が発生していたとしても、これについては、次のような損失補償契約の締結とこれに基づく補償金の支払により右損害賠償義務は消滅している。

すなわち被告は昭和四六年三月二九日、塩害発生地域の坂本地区及び山路地区の各部落総会における承認決議のもとに、中村市長(中村市の代表者兼原告を含む坂本地区住民の代理人)との間で、次のような損失補償契約を締結した。これは被告が中村市に対し金二四九三万円を支払い、右金員の使途については中村市が責任をもつてこれを行うこと、右金員の支払をもつて、塩害に関して被告が負う義務は損害賠償義務も含めてすべて消滅することを内容とするものであり、被告は、右契約に基づき、昭和四六年四月二三日中村市長に対し金二四九三万円を支払つた。

もとより、原告は、坂本区長及び一住民として前記承認決議に参加していたものであつて、右損失補償契約の効力は当然原告にも及んでいる。

四  抗弁に対する認否

抗弁のうち被告から中村市長に対し金二四九三万円が支払われたことは認めるがその余は争う。

右金員は、中筋川改修工事に起因する塩害を将来にわたつて防止するための対策費として中村市に交付されたものであつて、原告らが被り、または被るであろう農作物の損害を補てんする性質のものではない。

第三  証拠<省略>

理由

一請求原因1(当事者の地位)及び同2(中筋川改修工事の実施状況)の各事実は、当事者間に争いがない。

これによれば、本件坂本地区は、昭和二九年度末に管内図表示の点までの背割堤が完工するまでは渡川右岸に、昭和三九年二月の新中筋川通水までは旧中筋川右岸に、そしてその後は新中筋川右岸にそれぞれ位置する関係にあつたものといえる。

二米作りにおける塩害の発生とその原因

1  原審における<証拠>を総合すると、次の事実が認められる。

(一)  原告の住む坂本地区(昭和四五年当時で戸数三二戸、人口一一三人)の農地は、昔は主に桑畑であつたが、昭和一〇年養蚕経営の不振に伴い稲作用の水田に改良され、その農民によつて成立した坂本水利組合が昭和一〇年三月から渡川の流水を揚水して水田のかんがいに供し、昭和二九年度末中筋川と渡川との合流点が管内図表示の点に移された後は中筋川右岸の別紙2「ポンプ設置状況図」表示のA地点に設置した揚水機(以下Aポンプという。)により中筋川からかんがい用水を取水してきた。そのかんがい面積は約七ヘクタール、関係農家数は約二〇戸で原告もその組合員である。なお原告は右のAポンプによりかんがいしている以外の水田五アールのために昭和一〇年四月から別途に渡川から揚水し、中筋川と渡川の合流点が管内図表示の点に移された後は前記ポンプ設置状況図表示のD地点に揚水機(以下Dポンプという。)を設置して中筋川からかんがい用水を取水してきた。

(二)  渡川及び中筋川は、昭和三年に旧河川法の適用河川となつていたから、渡川及び中筋川からかんがい用水を取水するには旧河川法一八条、新河川法二三条の許可を受けなければならなかつたのに、坂本水利組合も原告もそれを受けないまま右河川の流水の占用をしてきた。しかるに被告は新河川法施行後も坂本水利組合や原告が旧河川法施行当時現存していて既得権としての地位を与えられたいわゆる慣行水利権を有するものと誤解し、昭和四二年三月右両者に慣行水利権の届出をするよう行政指導してその旨の届出をさせた。

(三)  昭和三九年二月中筋川と渡川との合流点が管内図表示の点から点に付け替えられた後、雨が少なくて中筋川の水をかんがい用水としたとき、坂本地区の水田の稲の葉先が白く枯れ、穂の実らないものが出ることがあるようになつた。坂本地区では主に早稲を作り、一反当り八、九俵の収獲があつたが、白枯病や不稔稲が出るときは反当収量が五、六表に減つた。

(四)  原告は、白枯病や不稔稲の発生はかんがい用水にしている新中筋川の流水に渡川河口から遡上してくる海水の塩分が混じつたことによるものと考え、その塩害による米作収入の減少を補うため、昭和四二年ごろから前記ポンプ設置状況図表示のE地点に深さ5.5メートルの井戸(以下Eポンプという。)を掘り、その地下水すなわち本件地下水を使用してビニールハウスによるきゆうり栽培を一部の水田で始めた。

以上のとおり認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

前記(二)認定の事実によれば、原告や坂本水利組合は、新中筋川の流水について法定の権原を有することなくそれを使用しているものといわざるをえず、この点をとらえて、被告は、新中筋川の流水使用について原告は反射的利益を有するにすぎないから法的権利を主張することができないというが、原告や坂本水利組合は前記(一)(三)のように昭和一〇年から平穏公然に渡川、中筋川の流水を水田のかんがい用に供してきたのであつて、その占用許可の申請をすればそれが得られたであろうことは容易に推認できるのであるから、原告が渡川、中筋川から取水して農業収入を得てきた生活上の利益は、法的保護に値する利益と解するのが相当である。これに反する被告の主張は採用できない。

2  右の被害の発生の原因について判断する。

前掲の<証拠>を総合すると、次の事実が認められる。

(一)  付近で海につながる河川の底が(TP)〇メートル以下であると、河川の上層淡水の下に塩水が潜り込む形で海水が河口から浸入する。中筋川改修工事が始まつた昭和一二年ころの渡川には干ばつ時あるいは流量の少ない時河口から坂本地区のある八キロメートル付近まで海水が遡上することがあつた。昭和二九年度末中筋川と渡川との合流点が管内図表示の点から点に移された後の中筋川にも坂本地区付近まで塩水が遡上することがあつた。しかし、渡川、旧中筋川の流水をかんがい用水としていた間に坂本地区の水稲に塩害の発生したことはなかつた。

(二)  昭和三九年二月中筋川と渡川の合流点が管内図表示の点から点に付け替えられた後の中筋川は、水位が二メートル近く低くなり(但しこれは水位が最高の場合をさし坂本地区の実際の年平均水位の低下は約二四センチメートルにすぎない。)、新中筋川の底が深浅のある渡川と異なつて平坦であること、新中筋川の流量が渡川に比べごく少ないことも関係し、右合流点から4.5キロメートル上流にある坂本橋付近まで海水が遡上するようになつた。それまで坂本水利組合及び原告は旧中筋川に設置した深さ二メートルの集水桝に入る表流水をポンプで汲み上げていたが、右合流点の付替え後は前記のように水位が低くなり、集水桝の上部が水面に出てしまつて集水できなくなつたので、直径三〇センチメートル、長さ一五メートルのビニール製集水管を新中筋川の中央部まで出して揚水しなければならなくなつた。

以上認定の事実に前記二1認定の事実を総合すると、昭和三九年の合流点付替え以前の中筋川にも坂本地区まで塩水が遡上することがあつたものの、それは同地区の水稲に被害を及ぼす濃度の塩害が含まれていたものではなく、たとえそれが含まれていたことがあつたとしても、かんがい用水の取水方法が塩水の浸入のない表流水を集水して汲み上げる方法をとつていたため、同地区の水稲に塩害の発生がなかつたが、昭和三九年の合流点付替え後の新中筋川に遡上するようになつた塩水には水稲に被害を及ぼす濃度の塩分が含まれていて、それをかんがい用水として使用したことから前記1の被害の発生をみたと推認するのが相当である。その結果、<証拠>によると、概算で原告は昭和四四年から同四九年まで毎年一アール当たり約一八キログラム程度の米の減収を来たしこれを当時の政府の米の買入価格によつて計算すると原判決が計算しているように五年間で一三一万三一一七円の損失となることが認められ、これは中筋川の塩分によるものと推定できる(この部分の証明は原判決二八枚目裏末行冒頭から三〇枚目表九行目の終りまでをここに引用する。)。

三ビニールハウス栽培における塩害の発生とその原因

1  この点についての当裁判所の事実認定と判断は、原判決二一枚目裏二行目から二七枚目裏四行目までに判示するところと同一であるからそれを引用する。ただし原判決二一枚目裏八行目の「昭和四五年頃まで枯死する」を「昭和四五年には定植後二か月で枯死全滅する」と改め、原判決二四枚目裏三行目の「前記(三)」を「前記(二)」と改め、原判決二六枚目裏七行目の「揚水継続日数をt」の次に「井戸関数をW(u)」を挿入し次の八行目の数式を、(u=r2s/4Tt)又は(u=r2s/4Ttと改め、同枚目も末行の「0.01」の次に「ないし0.05」を挿入し、次の2以下の説明を加える。

2  原告は原審鑑定人山本荘毅の鑑定は被告と談合し、坂本地区の資料を他地区のものと取替え、甲ケ峰開削工事と全く因果関係のない山路地区の資料に基づくものであるというが、同鑑定人が被告と談合し用いるべきでない資料によつて本件鑑定をしたという証拠はなく、当裁判所は同鑑定人が左様な不見識、不公正な鑑定をしたとは考えないので原告のこの点に関する主張は理由がない。

3  原告は坂本地区の地表下三メートル以下は砂質シフトそれから五メートルまでは玉砂利互層、それから一三メートルまでは玉石混り砂礫層であつて通水層であるから、ここで涵養された水はすぐ河川に流失しヘルツベルクレンズの破壊はないというが、原審証人山本荘毅の証言によるとここは多少砂混りのシルトではあるが水のよく透る通水層ではなく被圧水のできる場所であることが認められるので原告のこの主張は採用できない。

4  原告は山本鑑定人のいうように一日一〇トンの揚水をしたとしてもそれは発散蒸発ゼロのビニールハウス内に給水され、揚水は河川に還元され、(TP)〇メートル以下に低下させることはないというが、発散蒸発がゼロというのは首肯しがたく山本鑑定の結果と比較し(TP)〇メートル以下に低下させることはないという原告の主張は採用しがたい。

5  原告は本件E井戸の深さは5.5メートルにすぎず、そこの水の塩水化は中筋川の水が浸透したものであるというが、当裁判所の引用する原判決が説明しているように山本荘毅の鑑定と同人の証言によると坂本地区の土地は第一礫層と第二礫層が帯水層を形成して第一地下水第二地下水を胚胎しともに被圧水であること、この被圧水は深層地下水と呼ばれ降雨などから涵養される不圧水とは異なり、極めて長期の滞留期間を経ているものであること、本件E井戸の水も第一地下水からのもので不圧水からのものでないから中筋川の塩分とは関係がないこと、E井戸の水に塩分が入つたのは第一地下水(被圧水)の底部にある塩水層によるものであること、E井戸の水が干潮時にはなくなり、満潮時に多くなるのは圧力によるもので川の水そのものによるのでないこと、従つてE井戸の水は中筋川の水によつて塩分を含んだものではないのでこの点に関する原告の主張は採用できず、甲二七号証もそれ程原告の主張を支持するものとは認めがたい。新中筋川が開通したのが昭和三九年なのに原告らのいう塩害が昭和三年頃から始まつたというのもE井戸付近の揚水は被圧水によるものという考えを裏付けているといえる。

もつともE井戸の所在場所が中筋川からそんなに遠い場所でないこと、原告の実験によるとE井戸の深さが5.5メートル位の浅いところから始まつていること、E井戸の水位が潮の干満により大きな差があること、山本鑑定によつても不圧水と被圧水の境界には明確でないものもあり被圧水でありながら部分的に加圧されないとか、加圧が不完全である部分もあり不完全被圧水とか半被圧水というものもあることが認められるのでE井戸の塩分が中筋川の塩分を受けることが全然ないとみることには疑問の余地があるが、山本鑑定はE井戸付近の地下水のほとんどは不圧水ならざる被圧水によるものと判断しているのであつて、この見解を排斥できる科学的な根拠はないので原告の主張は採用できない。

6  原告は山本鑑定がE井戸付近の地下水頭が中筋川の平均水位より高いから中筋川の表流水が地下水中に入ることはないとしていることを批難しているが、山本鑑定は昭和五三年一月二七日午前一〇時頃測定したEポンプ付近の水位は地面から6.28メートル下で、標高に直すと(TP)〇メートル以下であつたこと、これは潮汐の影響を受けており、昭和五三年調査工事のボーリング孔における水位や中筋川河口の付替え工事完了直後に塩水浸入がみられなかつたことなどから判断して第一地下水の平均水頭は中筋川の水位すれすれで中筋川よりやや高かつたものと判断するというものであり、右の6.28メートルは原告が当審へ提出した第二回準備書面にある原告がE井戸を調査したときの地表から地下水面までの距離が5.5メートルであつたというのより深いのではあるがこれらの点について山本鑑定の説明に矛盾はないので原告の主張は採用できない。原告は又山本鑑定が坂本地区の地下水の賦存量算定のための面積を六万平方メートルとしたことを批難しているが、これは坂本地区の地表の広さをこの程度とみて計算したものと推測されこれが特に矛盾しているとは思われず、山本鑑定が特に不合理であるとは認められない。

四被告の責任

1  以上のとおり、本件地下水による塩害については、その塩水化が被告の管理にかかる中筋川の改修工事と因果関係を欠くので、被告の責任を論ずる余地はない。そこで以下中筋川の水による米作の塩害の発生につき、被告が国家賠償法二条一項の責任を負うものか否かについて判断する。

国家賠償法二条一項の営造物の設置又は管理の瑕疵とは、営造物が通常有すべき安全性を欠き、他人に危害を及ぼす危険性のある状態をいい(最高裁昭和五一年(オ)第三九五号同五六年一二月一六日大法廷判決・民集三五巻一〇号一三六九頁参照)、かかる瑕疵の存否については、当該営造物の構造、用法、場所的環境及び利用状況等諸般の事情を総合考慮して具体的個別的に判断すべきものである(最高裁昭和五三年(オ)第七六号同年七月四日第三小法廷判決・民集三二巻五号八〇九頁。なお、最高裁昭和五三年(オ)第四九二号、第四九三号、第四九四号昭和五九年一月二六日第一小法廷判決・判例時報一一〇四号二六頁参照)。

2  <証拠>によると、渡川(別名四万十川)は高知県と愛媛県の県境付近から発して南下し中村市の西方を経て下田に於て太平洋にそそいでいる一級河川であり、中村市の東方を流れている後川は古津賀付近で、渡川の西の方宿毛方面から流れている中筋川はもと坂本で合流していたこと、この中筋川の流域は渡川全流域の六パーセントに過ぎないがこの中筋川がうるおす平地面積は渡川全流域平地面積の二一パーセントを占め、もとの幡多郡の水田の非常に多くの部分がこの中筋川流域に存在していること、ところがこの支川を含む渡川の流域一帯は古来夏期になると台風のため雨量が多く全国的にみて和歌山県の新宮川流域に次ぐ最多雨地帯の一つといわれ大正九年には年間雨量四五一四ミリ、大正一〇年には月間雨量一三〇〇ミリ、大正七年には一日の雨量五〇七ミリを記録するところがあるなど昔から降雨のため大洪水となり幾多の惨害をもたらし住民を苦しめることが多かつたこと、特に渡川の上流は川幅が狭く不整であつたため水嵩が高くその破壊力旺盛であり流ママ川の水嵩が増えるとたちまち合流地点から中筋川に水が逆流し中筋川沿岸の低地に奔流し、田畑の浸水はもちろん交通を杜絶させ、濁流が遠く中筋川上流の支川の有闘川或いはそれ以上に及んで沿岸一帯に水害をもたらしていたこと、このため沿川住民はこの水害防止を希い、自らの手でも改修を行つたが及ぶところでなく大正年間に入るとこの惨状をみた高知県議会が毎年県費又は国費によりこの方面に治水工事を行うことを請願していたこと、しかし予算上の制約から仲々希望が達せられなかつたが、ようやく時の政府の認めるところとなり昭和四年に当時の内務省土木局により当時の予算で総工費七五〇万円、十四か年計画で渡川と支川の後川、中筋川の改修工事が着手せられるに至つたこと、その当初の改修計画は渡川右岸の具同村から海までの一三キロメートル、後川は左岸の東山村、右岸の当時の中村町から渡川との合流店ママまでの五キロメートル、中筋川は中筋村から渡川との合流地点まで七キロメートルの合計二五キロメートルを改修せんとするもので計画高水量は過去の最高洪水を基準として渡川区間は一三〇〇〇m3/S、渡川と後川合流点から海までの区間は一四〇〇〇m3/S後川は一七〇〇m3/S、中筋川は五五〇m3/Sとし、改修計画はこの流量を安全に流通させることを主眼としたこと、このうち中筋川の被害のほとんどが渡川からの逆流によるものであつたため従来の渡川と合流点のあつた坂本から渡川の右岸に沿い一八五〇メートルの背割堤を作るとともに中筋川を誘導し山路において渡川と合流させるとともに従来の中筋川の川幅を広げ両岸に堤を築いて逆流の被害をなくそうとしたもので合流点における中筋川の川幅は一〇〇メートルとすることとされたこと、かくて昭和四年より国費を以て工事が開始されたがその後国庫財政緊縮のため必ずしも当初予定の予算が配布されないこともあり当初の一四か年計画が昭和八年には一五か年計画に変更され、さきの大戦中は物資、人力ともに不足し計画は進行せず、昭和一八年には完成に至らなかつたことその間の昭和一〇年八月二八日この地方に大洪水があり当初の計画では不十分であることが判明したため、同一二年には中筋川と渡川との間に築く当初予定の山路までの背割堤一八五〇メートルを、更に二六五〇メートル追加して実崎までとしそこまで中筋川を延長すること、このため途中の甲ケ峰を開削し、中筋川の水位を当初計画より一九五センチメートル低下させ、H・W・L(計画高水位)七四〇センチメートルで、当初計画とあわせて四八五センチメートルの水位低下をはかり、堤防予裕高二〇〇センチメートルとされたこと、このため計画も昭和二一年度までとされたこと、この計画改訂については中筋川又は渡川の上流に洪水調節池を作る案、坂本背割先に水門を設置する案、堤防をかさ上げする案などが検討されたが効果その他の点からこの計画改訂となつたこと、しかしこの改訂計画も戦争のため予定どおり進捗しなかつたうえ、戦後も昭和二〇年二一年二四年と台風被害に見舞われ被告は既設堤防の復旧に努力を傾注せざるを得なかつたがその間にも少しずつ計画の実行は進み同二八年には渡川右岸の実崎までの築堤工事が、同三一年から中筋川掘削工事が始まりまず甲ケ峰の掘削工事を行い昭和三九年初実崎までの掘削を終り昭和三九年三月二日掘削された新中筋川に通水が始まり実崎で渡川との合流が実現したこと、この新中筋川の通水で従前の水位が下り中筋川沿いの水田など一五〇〇ヘクタールが水害を免れ、水稲約三二六〇トンの増収が見込まれたこと、通水の模様を報じた当時の新聞は数百年間沿川住民を悩まし続けてきた中筋川の水が幅六五メートルの新しい川に流れ出るのを見た人々の間では喜びの喚声と拍手がわき、これまでは渡川の逆流で耕作の意欲を失い勝ちであつた中筋川沿いの農民の喜びを報じたこと、その間に投ぜられた国費は買収した用地の総面積だけでも数十町歩に上り工事費と合わせ極めて多額に上つていることが認められ、又この工事のため中筋川沿川の洪水被害がなくなつたことは山路部落に住み坂本部落にも耕地をもつている原審証人矢野川明(第一回)が、新中筋川付近は新中筋川が出来るまで少し雨が降ると冠水し洪水の心配をしていたが新中筋川の完成後はその心配がなくなつたと証言していることによつても明らかなようにこの中筋川の洪水を防止することがいかに必要かつ有意義な工事であつたかが明らかであるといわねばならない。

3  新河川法一条が河川管理の目的として洪水防止とともに塩害防止をも含めているので河川に塩害を生ずることを以て瑕疵ありとみることはありうるが被告は渡川の水が中筋川に逆流して中筋川沿川一帯に発生させていた曽ての水害を防止するため前にも説明したように上流に溜池を設置することなど各種の案を検討したが、中筋川を実崎まで延長し中筋川の水位を低下さすことが一番良策と判断してこれを実行したのでありこの案が不当で失敗だという指摘は皆無であること、本件中筋川のように川が、満潮時にくさび型で塩水が浸入してくる渡川と合流する場合はその川に海水が遡上することは河川の形状流量にもよるがその位置からしてある程度避けられない自然現象であつてこれを以て欠陥とか安全性の欠如とみることはできないこと、被告が採つた方法以外に中筋川の水位を低下さすためにとるべき他の方法があつたとは考えられないこと、原告も中筋川の水位を低下させ洪水を防ぐためどんな方法をとるべきであつたかという指摘はしていないこと、新中筋川完成前に沿川各地が頻々たる洪水で受けていた被害を数字で現わすこととは貨幣価値の変動もあつてできないがその被害は極めて大きく、洪水の程度によつては収獲が全くない状態があり家屋等の浸水による被害も大きかつたことが推認されるのに比べ、原告に生じたと認められる損害は米作で数年間反当り、七、八俵あつたものが五、六俵になつたという程度で全く収獲がなくなつたというものでないこと、又たとえば中筋川からの取水を満潮時に行わず干潮時に行う工夫をするなどその後の研究工夫でその損害が永久に続くものとは考えられず、しかも原審証人矢野川明の証言(第一回)によるとこの方面で新中筋川開通後も雨の多い年は水田のかんがい用水はそれで足り中筋川の水を使用しなくてよいこともあり、そのときは従前どおり反当り七、八俵の収穫があることが認められること、当時この方面では既に耕作がきゆうり等のハウス栽培に転換されるものが多く水稲の作付面積は減少していたこと、この付近の水害がなくなつたことにより原告を含む中筋川沿川住民の所有する耕作土地の価値は高くなり、住みよい土地になつたと想像されることを考えると、原告の被害はその受けた利益に比しその受忍限度を越すような大きなものと考えることはできないし、被告がいわゆる欠陥河川を作つたのではないからこれを以て中筋川の設置に瑕疵があるとみることは相当でない。

当裁判所は国家のためという名目で国民の損害を軽視し個人の損害を顧なくてよいというような極端な考えをもつものでなく左様な考えは現憲法の許すところでないが、被告が原告を含む中筋川沿川住民の利益のため大きな出捐を以て治水事業を行い大きな成果が上つた半面、本件のように満潮の場合に川に塩水が遡上する程度の被害が出たことがあるとしてもそれは中筋川沿川の洪水を守るためやむを得ないもので公共の福祉のために許されるものと判断する。原告を含む沿川住民が日本全国民の税金で受けた恩恵のことをいわず、被害のことのみを強調しては国の政治というものは成り立たず公共の福祉を増進させることはできないと考えるからである。のみならず<証拠>を総合すると、前記合流点付替工事完成後中村市山路地区、同坂本地区の農作物に起きた塩害につき、昭和四五年初めころより中村市長、同市山路地区・坂本地区の住民から被告に損害てん補や塩害防止措置を求める陳情が相ついだため、被告は塩害の発生につき右工事との因果関係を否定し、農作物の被害の補償には応じられないとしたものの、昭和四六年三月二九日現に起きているという塩害対策費として中村市に二四九三万円を交付し、中村市はこれにより坂本地区に飲水用の簡易水道、灌漑用水用のポンプを設置し沿川住民の福祉のため努力したことが認められ(<反証排斥略>)、この点でも被告は相応の配慮をしているとみることができる。

五以上によれば、原告の本件請求は、その余の点について判断するまでもなく理由がないから、これを棄却すべきである。したがつて、被告の控訴は理由があるから、原判決中被告敗訴部分を取り消して、原告の請求を棄却することとし、原告の控訴は理由がないのでこれを棄却し、訴訴ママ費用の負担につき民訴法九六条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(菊地博 福家寛 渡邊貢)

《参考・原判決理由》

一〜二 <省略>

三 米作における塩害の発生とその原因

1 <証拠>によれば、昭和三九年二月の中筋川改修工事の完了以後、新中筋川の表流水をかんがい用に利用していた坂本地区において、水稲につき従前全く見られなかつた被害、すなわち稲の葉先が枯れて白くなる白枯れ病や不稔稲が出現するようになつたこと、これらの水稲被害は、新中筋川の表流水に含まれる高濃度の塩分に起因していたことが認められ、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

2 そこで、更に右表流水中に水稲被害をもたらす程度の塩分が含まれるようになつた原因について検討するに、<証拠>によれば、次の事実が認められる。

(一) 中筋川改修工事の完了前には、渡川若しくは旧中筋川の表流水を取水していた坂本地区において、水稲を含む農作物全般に対する塩害が問題となつたことは皆無であつた(もつとも、右表流水中に塩分が全く含まれていなかつたかどうかは不明である。)。

(二) 甲ヶ峰を開削して設置した新中筋川は、昭和四三年一月の平均河床高が河口の実崎(渡川河口より三キロメートル上流の地点。以下の地名ないし地点については管内図参照のこと。)から坂本橋(新中筋川河口より約4.6キロメートル上流の地点)付近の間においてTPW((TP)、すなわち東京湾中等潮位から0.113メートル差し引いたものをいう。)マイナス二メートル前後であり、しかも、右両地点間の河床勾配はわずか八〇〇〇分の一にすぎなかつたのに対し、渡川は、同時期の平均河床高が河口より約五キロメートル上流の地点まではTPWマイナス二ないし五メートルと低いものの、河口より約六キロメートル上流の地点付近から若干高くなり、河口より約6.4キロメートルの山路量水標(管内図表示の「△山路」の地点)やや上流地点からTPW〇メートル前後となり、しかも、この間の河床勾配は一六〇〇分の一ないし一一〇〇分の一であつた。

(三) 感潮河川における感潮区域は、潮汐の大きさ、河川流量、河川形状(とくに河床高)等によつて変化するところ、昭和四四年一月、昭和四五年三月の観測によれば、渡川においては、河口より三ないし五キロメートル上流地点までは潮汐振動の減衰もわずかにみられる程度にすぎないものの、同地点より上流では潮汐振動の減衰が顕著となり、潮汐振動が伝幡ママする限界地点も河口より約6.5ないし9.5キロメートル上流の地点にとどまつているのに対し、新中筋川においては、潮汐振動の減衰が極めて緩やかであり、上流に行くに従つて小さい比率で減衰するにすぎず、潮汐振動が伝幡ママする限界地点も河口(実崎)より一〇キロメートル余の地点にまで及んでいる。

そして、現実の塩水浸入状況についてみても、昭和四五年二月の長期渇水時において、渡川(流量13.92立方メートル毎秒)では前記山路量水標付近までは一万PPM前後の塩分濃度を示しているものの、同地点より上流では塩分濃度が急激に低下しているのに対し、新中筋川(流量0.89立方メートル毎秒)では、その河口より3.2キロメートル上流地点まで一万PPM前後の塩分濃度を示し、河口より四キロメートル上流地点を超えてもなお、かんがい用水としては不適の限界濃度とされている一〇〇〇PPMをはるかに上回る塩分濃度を示し、前記坂本橋上流地点でも一〇〇PPM前後の塩分が検出されている(甲第二七号証)。

(四) また、昭和四五年一月二七日の塩分濃度測定においても、新中筋川の山路橋(新中筋川河口より約1.6キロメートル上流の地点)上流約五〇メートルの地点で10.6ミリモー(モーとは電気伝導度を表わす単位で、例えば一ボルトの電位差のある導線に一アンペアの電流が流れているとき、この導線の導電率を一モーといい、その一〇〇〇分の一が一ミリモーとなるが、これは、河川の塩分の量を測定するための単位としても用いられ、かん水用塩分限界濃度は、ハウス野菜については、おおむね0.4ないし0.6ミリモー以上は不適とされ、また水稲については、3.5ミリモー以上になると被害が目立つて多くなるといわれている。)という極めて高濃度の塩分が検出された(乙第二号証)。

(五) 山本ミチ子は、従前、高知県土佐市高岡町で製紙業を営んでいたが、坂本地区への移転を考え、昭和三八年に旧中筋川の表流水についての水質検査を高知県紙業課に依頼したところ、製紙に全く支障のない良質の水であるとの検査結果を得たため、昭和三九年一二月頃から坂本地区において新中筋川の表流水を使用して製紙業を始めたものの、まもなくボイラーに塩分が噴き出すなどの現象が生じ、新中筋川の表流水を使用できなくなつたことから、操業停止のやむなきに至つた。

以上の各事実が認められ、右認定事実に加えて、前記当事者間に争いがない事実中、被告の実施した中筋川改修工事の内容が、渡川との合流地点を甲ヶ峰西側地点から右認定のとおり塩水(海水)浸入の著しい実崎地点に移動させ、しかも、新中筋川の水位を旧中筋川の水位より約二メートルも低下させるというものであつた事実、及び後記認定の損失補償契約締結に至る経緯、とりわけ、被告においても、中筋川改修工事の完了により新中筋川が塩水化したという事実自体については、これを否定し難く、そのことが右損失補償契約の締結に応ずる一つの契機ないし理由となつた事実等をあわせ考えれば、水稲被害をもたらす程度に新中筋川の表流水が塩水化した原因は、被告の実施した中筋川改修工事の完了によつて、新中筋川が塩水浸入状況の著しい実崎地点と直結されたため、海からの塩水が低河床でかつ水平に近い勾配の河道を通つて遡上するようになつたことにあるものと認められるから、結局、右塩水化は中筋川改修工事の実施に起因するものというべきである。

これに対し、被告は、坂本地区においては、中筋川改修工事完了前から渡川若しくは旧中筋川には自然現象として塩水が遡上していたものであり、新中筋川の塩水化も、従前と同様自然現象の一つであつて、右改修工事の実施とは何ら因果関係がない旨主張する。

なるほど、<証拠>によれば、昭和一二年頃から昭和一五、六年頃までの間、渡川左岸の不破地区において土砂掘削工事等が実施されていたところ、同工事に使用された土砂搬出用の蒸気機関車に、山路渡(前記山路量水標とほぼ同一地点)やや下流の地点から坂本地区までの間の対岸(左岸)で取水した表流水が使用されていたが、その使用により、右蒸気機関車のパイプ取付口等の部所に塩分が析出する現象がしばしば生じたことが認められる。しかしながら、<証拠>によれば、右表流水自体は人がなめても塩辛いということを感じるようなものではなかつたことが認められるのであつて、その塩分濃度は必ずしも明らかではなく、しかも、右塩分は、蒸気機関で熱せられ表流水中の成分が凝縮する過程で生成されたものとも考えられるうえ、右認定のとおり、中筋川改修工事完了前に坂本地区において塩害が問題となつたことは皆無であつたこと等に照らせば、右塩分析出の一事をもつて、当時からすでに坂本地区付近の表流水中に水稲の被害をもたらす程度の塩分が含有されていたものとは到底認め難いから、被告の右主張は理由がなく、他に前記認定を覆すに足りる証拠はない。

四 ビニールハウス栽培における塩害の発生とその原因

1 <証拠>によれば、前記のとおり昭和四二年頃から原告が行つていたビニールハウスによるきゆうり栽培についても、昭和四三年頃から生育異常が生じ始め、昭和四五年頃まで枯死するなどの作物被害が続いたこと、その原因は、かんがい用に前記Eポンプで取水していた本件地下水中に塩分が含有されていた点にあることの各事実が認められ、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

2 原告は、本件地下水が塩水化したのは、塩水化した新中筋川の表流水が伏流して地下に浸透したためであつて、結局、その原因は新中筋川の塩水化に帰一する旨主張するので、この点について検討するに、右認定事実に、<証拠>を総合すれば、次の事実が認められる。

(一) 地下水の種類と性質

一般に、地下水には不圧水と被圧水とがある。

不圧水は、浅層地下水といわれ、自由水面をもつ循環性の地下水で降雨などから直接の涵養を受けている。不圧水の大部分は基底流出として河川に流出し、また、場合によつては地表水の一部が伏没して地下水に転化する伏流水とよばれるものは、本質的にこの種の地下水である。不圧水は、河川水と密接不離な関係にあり、不圧水を大量に揚水すれば河川の基底流量の減少が生ずる。いわゆる伏流水に限らず、一般に伏流水は、全体として河川水と一体ともいわれるべき性質のものである。

これに対して、被圧水は、深層地下水とよばれるものであつて、通常は加圧層の下で著しく被圧されている地下水を指し、不圧水に比べて滞留時間は著しく長期である。被圧水は、単位面積あたりの涵養量が不圧水に比べて小さいので、自然の循環利用という立場から考えると、そのままでは水資源としての価値は低いものと評価すべきである(もつとも、貯留量は大きいので、一時的な水資源としては大きく評価されている。)。

(二) 坂本地区の地層構成と帯水層の分布

坂本地区の地層構成は、表面から順次、①第一粘土層、②第一れき層、③第二粘土層、④第二れき層、⑤基盤となつており、第一れき層と第二れき層とが帯水層を形成し、それぞれ第一地下水、第二地下水を胚胎するが、右の両地下水の間には交流関係は全くない。

なお、右第一れき層及び第二れき層は、いずれも中村市具同地点から渡川右岸沿いに渡川河口にまで連続して存在し、また、第一れき層は、坂本地区において新中筋川河床に露出している。

(三) 本件地下水の性状

本件地下水は、前記のとおり深さ約5.5メートルの地下から取水していたものであり、最上層の第一粘土層で覆われた第一れき層に胚胎する地下水であるから、典型的な被圧水である。

そして、本件地下水の自然状態における平均被圧水頭は、新中筋川の平均水位よりもわずかに高い位置にある。すなわち、前記のとおり原告は昭和四二年頃からビニールハウス栽培を始めているが、塩害は直ちに生じたわけではなく、昭和四三年頃から目立つようになつたものであり(平均被圧水頭が新中筋川の平均水位より低ければ、新中筋川からの伏流があるはずであるから、新中筋川の塩水化に伴つて直ちに本件地下水も塩水化する筋合である。)、また、坂本地区において右第一地下水を取水している他の井戸は、昭和五三年五月一〇日の調査においても未だ塩水化されていないのであり、いずれの事実からも、新中筋川の平均水位よりも本件地下水が高いことを示している。したがつて、新中筋川の表流水が自然の状態で本件地下水中に浸入(伏流)することはありえない。

また、本件地下水の上層部には薄い淡水層が存在し、その底部には右淡水層の下に塩水層が古くから存在していた。すなわち、標準海水中の塩素イオンは一万九三五三PPM、硫酸イオンは二七一二PPMであつて、後者の前者に対する比率は0.14であるところ、昭和五三年三月のボーリング(Eポンプ付近の地点)調査結果によれば、第一れき層底部(深さ18.8ないし19.8メートル)の地下水は、塩素イオンが六五五〇PPM、硫酸イオンが四三PPMであつて、後者の前者に対する比率が0.006で標準海水のそれとは著しく異なつていた。もとより、右地下水も、塩素イオンが多量に含有されていることからして海水起源とみられる(なお、この地下水を胚胎する第一れき層が渡川河口にまで連続していることにつき、前記(三)を参照)けれども、それが硫酸塩の還元や沈澱等で右のように変質を受けたものであり、右の調査結果は、新たに浸入した海水によるものではなく、古くから存在する塩水層に由来するものである。

(四) 坂本地区における自然涵養と揚水量との関係

一般に、地下水の揚水量は年間平均涵養量を超えてはならないとされている。第一地下水への定常的涵養源としては、坂本地区への降水が主なものであり、新中筋川からの伏流浸透は、前記のとおり第一地下水の平均水頭が新中筋川の平均水位より高いことから、これを期待することができない。そして、右降水による涵養量は、日本の他地域と同様平均一日一ミリ程度であり(もつとも、この値は概略の平均値であり、場所により、季節により、またその年の気象状況によつて二倍位の変化をする。)、他方、坂本地区(面積約六万平方メートル)における第一地下水の揚水量(その主たるものがEポンプによる揚水である。)は、そのかんがい面積からして一日一〇立方メートル程度にとどまつていたから、揚水量が自然涵養量を超えることはなく、したがつて、坂本地区において右両者の均衡が破れることはなかつた。

(五) ヘルツベルクの法則と本件地下水の塩水化

自然涵養量以内にとどまる揚水であつても、水質の悪化を招く程、水頭を低下させるような揚水は、絶対に避けなければならない。

ところで、地下水の塩水化の機構については、ヘルツベルクの法則によつて理論的解析がなされている。すなわち、沿岸部で透水性の帯水層が海に開口する場合、又は海水の浸入する河底に帯水層が開口する場合、海水は帯水層中にくさび状に浸入し、密度の高い塩水が淡水層の下にもぐりこみ、いわゆるヘルツベルクレンズ(塩淡水境界面)を形成する。この場合、塩水と淡水とは地下で近似的に静水力学的平衡を保つている。これについては、淡水の海面上の高さ(水頭)をhとし、へルツベルクレンズまでの海面下の深さをHとすれば、H≒40hという公式が成り立つ、これによれば、例えば、hが(TP)一メートルであればヘルツベルクレンズは、(TP)マイナス四〇メートルに存在していることになり、これに対し、hが(TP)〇メートルとなればHは〇となり地下水は完全に塩水化することになる。

そして、本件地下水の水頭は、本件塩害発生前においては、(TP)〇メートルを数センチメートル超える程度であつたから、仮にこれを(TP)0.01ないし0.1メートルとすれば、右公式により、ヘルツベルクレンズは(TP)マイナス0.40ないし4.0メートルの位置に存在することになる。すなわち、本件地下水は、従前、右の位置の上部に淡水層が、その下部に前記の古くからの塩水層がそれぞれ存在し、両者が近似的に静水力学的平衡を維持する状態にあつたわけである。

しかしながら、ヘルツベルクの法則によれば、水頭が(TP)〇メートル以下となれば塩水化を招来するというのであるから、Eポンプによる本件地下水の揚水によつてどの程度の水頭低下がみられたのかが解明されなければならないところ、これについては、タイスの非平衡式により推定することが可能とされている。すなわち、水位低下量をs、揚水量をQ、透水量係数、すなわち帯水層の厚さに透水係数Kを乗じたものをT、貯留係数をS、当該井戸からの距離をr、揚水継続日数をtとすれば、

との公式が成り立ち、揚水量Qを一日何立方メートルと与えてやれば、時間と距離に応じた水位低下量sが算出される。しかして、貯留係数Sを被圧水における可能値として0.05ないし0.01とし、また透水係数Kを0.01ないし0.05センチメートル毎秒、帯水層厚を二メートルとしたうえ、揚水量Qを前記のとおり一日一〇立方メートルと与えれば、右公式による計算の結果、一日後におけるEポンプ孔内水位の低下は一四ないし七二センチメートルと算出される。この低下量は、本件地下水の水頭を(TP)〇メートル以下に低下させるに足るものであり、右数値につき多少の誤差を考慮したとしても、本件地下水の水頭が(TP)〇メートル以下に低下しやすいものであつたことにかわりはない。

以上の各事実が認められ、右認定事実を総合して勘案すれば、本件地下水が塩水化したのは、Eポンプの揚水によりその水頭を(TP)〇メートル以下に低下させたことにより、淡水層と、もともとその下に古くから存在していた塩水層との間に形成されていたヘルツベルクレンズの破壊を招き、淡水層と塩水層が混和したことに起因するものと認めるのが相当であり、したがつて、本件地下水の塩水化と新中筋川の塩水化との間には因果関係が認められないというべきであるから、原告の右主張は理由がない。

五 被告の責任

右認定のとおり、本件地下水による塩害については、その塩水化が被告の管理にかかる中筋川の改修工事と因果関係を欠くので、被告の責任を論ずる余地はないけれども、本件表流水による塩害は、右改修工事に起因するものであるから、この塩害に対して被告が国家賠償法二条の責任を負うものか否かについて判断する。

一般に、河川においては、潮汐の大小、河川の流量の程度、河川の形状等の自然要因の如何により、その河口付近で海水が遡上する現象はしばしば見受けられるところであり、このような自然現象の結果として河川の表流水が塩水化した場合には、当該河川につき慣行水利権を有する者といえども、右塩水化による不利益は受忍せざるを得ないというべきである。けだし、慣行水利権は、発生(取得)当時の所与の条件に限定された範囲内でしかこれを行使し得ないものであつて、自然現象による水利事情の変化は、当然右所与の条件に含まれるからである。したがつて、右のような自然現象による塩水化の故をもつて、河川として通常有すべき安全性を欠如したものということはできない。しかしながら、本件のように、慣行水利権に基づき、常時、塩害を惹起することのないかんがい水を当該河川から取水していた地域において、その後に施行された右河川の改修工事のため、同地域にまで海水が遡上する状態となつて、水稲被害を生ぜしめる程表流水が塩水化した場合には、その所与の条件を超える原因によつて慣行水利権が侵害されたものとして、その不利益は救済されなければならず、河川の管理主体においても、かかる侵害を生じさせぬように河川工事を設計施行すべきは当然であるというべきであるから、本件においては、右工事により慣行水利権に基づくかんがいに利用される河川として通常有すべき安全性を欠如するに至つたものというべきであり、したがつて、被告は、新中筋川改修工事に関して新中筋川の設置又は管理に瑕疵があつたものとして、本件表流水の塩水化によつて生じた原告の水稲被害を賠償すべき義務がある。

六 原告の損害

原告の水稲の耕作面積が昭和四四年から四六年までの三年間は62.71アール、昭和四七年から四九年までの三年間は85.70アールであつたことは、前認定のとおりであるところ、<証拠>によれば、坂本地区において、本件塩害発生前には一アールあたり少なくとも四八キログラムの米の収穫があつたのに、昭和四四年から四九年までの間は一アールあたり少なくとも三〇キログラムに減少したことが認められ、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。したがつて、原告は、昭和四四年から四九年までの間、毎年、本件塩害のため一アールあたり少なくとも一八キログラムの収穫減を蒙つたものというべきである。

そして、<証拠>によれば、昭和四四年から四九年までの政府買入米価格(三等米)は、昭和四四年から順次、一キログラムあたり一三七円、一三七円、一四二円、一四九円、一七一円、二二七円(但し、いずれも円未満切り捨て。以下同じ。)であつたことが認められる。

以上認定したところに従つて原告の蒙つた損害を算出すれば左記のとおりとなり、その合計額は一三一万三三七一円となる。

(一) 昭和四四年 一五万四六四二円

62.71×18×137=154,642

(二) 昭和四五年 一五万四六四二円

62.71×18×137=154,642

(三) 昭和四六年 一六万〇二八六円

62.71×18×142=160,286

(四) 昭和四七年 二二万九八四七円

85.70×18×149=229,847

(五) 昭和四八年 二六万三七八四円

85.70×18×171=263,784

(六) 昭和四九年 三五万〇一七〇円

85.70×18×227=350,170

(七) 合計額 一三一万三三七一円

七 抗弁について

被告は、原告に損害賠償請求権が発生していたとしても、昭和四六年三月二九日、坂本地区等の部落承認決議を経たうえ、被告と中村市長(中村市の代表者兼原告を含む坂本地区住民の代理人)との間において、同地区等の塩害に関し、被告が中村市長に対し塩害対策費として金二四九三万円を支払うこと、及び右支払をもつて塩害に関する被告の義務は損害賠償義務を含めてすべて消滅することを内容とする損失補償契約が締結され、昭和四六年四月二三日、右契約で定めた金員が支払われたことにより、原告の右損害賠償請求権は消滅した旨主張する。

そこで、検討するに、<証拠>によれば、次の事実が認められる。

中筋川改修工事の完了後、とくに昭和四五年初頃より、山路地区や坂本地区の住民から中村市又は建設省渡川工事事務所に対し、右改修工事に基づく塩害によつて農作物被害を受けたとして、その損害賠償や塩害防止措置を求める陳情が相次いでなされ、その後、これを受けた中村市が前面に立つて建設省四国地方建設局と交渉を重ねるうち、同建設局は次のような意向を示すに至つた。すなわち、住民からの損害賠償の要求、ことにビニールハウスの被害関係については、右改修工事との因果関係を極力否定し、これを受け容れることはできないとしながらも、塩害防止措置については、改修工事により、とくに渇水期には新中筋川に塩水が遡上するようになつた事実は否定し難いとし、そのため将来にわたり塩害が問題とされ続けてゆくかもしれないことを危惧しつつ、また、改修工事を施行するにあたり、昭和三四年に中村市長との間で覚書(乙第三号証)を締結し建設省が「中筋川筋については、現在以上に塩害が及ばないように処置する。」(2項八号)旨誓約していたことを考慮して、行政上・政治上の配慮から、当時中村市が企図していた塩害防止のための土地基盤整備事業計画に協力する名目であれば、その費用の一部を分担支出することにやぶさかでないとの態度を表明した。

昭和四五年一〇月二〇日、四国地方建設局に中村市長、中村市議会正副議長、山路、坂本地区の両区長(当時の坂本地区の区長は原告である。)ら関係者が参集した席上において、同建設局局長今井勇は、右意向に沿う解決案として、「国は、塩害防止対策費として金二四九三万円を中村市に支出し、中村市においてその措置を実行する。右金員の支払をもつて昭和三四年の前記覚書条項は削除する。」旨の提示をなし、中村市側の参列者もおおむねこれを了承した。なお、損害賠償請求の処理については、同建設局としては、右住民らに損害賠償請求権はそもそもなく、仮にあるとしても、右金員の交付をもつて消滅するとの考えを持つていたようであるけれども、右解決案の提示にあたつては、その旨明確に表示されたわけではなく、もとより右区長らにその旨の認識はありうべくもなかつた。

そして、昭和四六年一月から二月にかけて、山路、坂本の両地区において部落総会が開かれ、中村市長から、四国地方建設局の右提示案の趣旨説明がなされ、とくに昭和三四年の前記覚書条項の削除と交付予定金の使途方法について意見が聴取され、結局、右提示案に対する承認決議がなされるに至つた。その際も、中村市長から、個々の住民らの損害賠償請求権の帰すうに関する明確な発言がなされることはなかつた。

その後、四国地方建設局局長と中村市長との間において、昭和四六年三月七日に「中筋川開削工事に伴い生ずる塩害について」の覚書(乙第四号証)が交され、更に同月二九日には右覚書に基づき「中筋川付替工事に伴う損失補償契約」(乙第七号証の三)が締結され、「中村市は責任をもつて中筋川付替に伴い生じた塩害防止措置を実施し、四国地方建設局は二四九三万円を中村市に支払う。この金員は、中筋川付替工事に伴い生じた中筋川の塩害に対する防止措置につき国が負担する費用の一切であつて、中村市は何らの名目をもつてするもこれ以外の金額を要求しない。」旨定められた。しかしながら、右覚書及び損失補償契約書中には、原告ら住民が契約当事者若しくは利害関係人として表示されておらず、もとより右住民らの損害賠償請求権を放棄するのかどうかについても何らの定めもなされていない。

そして、昭和四六年四月二三日、右二四九三万円が同建設局から中村市に交付され、中村市は、これに基づきビニールハウスの移転、簡易水道の敷設等塩害防止対策措置を実行した。

以上認定の事実を前提にして抗弁の当否を判断するに、まず、右損失補償契約で定められた二四九三万円の性質は、中筋川改修工事に伴う塩害の将来にわたる予防措置のために行政上・政治上の見地から国が中村市に支払うこととしたものであつて、原告ら地区住民の塩害による損害を補てんするものではないことが認められるから、右損失補償契約の締結によつて原告の損害が補てんされて損害賠償請求権が消滅したものと解する余地はない。

また、右損失補償契約において、予防措置費二四九三万円の支払と引換えに、原告ら地区住民が過去・将来の損害賠償請求権を放棄することが合意されたかどうかについても、その契約書には、原告ら地区住民が当事者又は利害関係入として表示されず、損害賠償請求権の放棄に関する記載も一切見られないこと、住民らの陳情から始まつて右契約締結に至るまでの、国と中村市及び原告ら地区住民代表との交渉の過程においても、右請求権の放棄に関する話合は行われていないこと等に徴し、これを認めるに足りない。

もつとも、右契約に先立ち各地区の部落総会が開かれ住民の意思を聴取しているけれども、これは、国と中村市との間で国の塩害防止義務を定めた前記昭和三四年の覚書条項(乙第三号証の2項八号)を削除することの可否について、利害関係を有する地区住民らの意見を徴し、かつ国から支給される予定の予防措置費の使途方法について協議すべくなされたものであつて、更に個々の住民の損害賠償請求権を放棄することの可否を問うたものと認むべき証拠はない。

また、前掲証拠によれば、右損失補償契約の締結にあたり、原告は、国の要求により坂本地区区長として同地区住民を代表し、「私は中村市長長谷川賀彦を代理人と定め、建設省の施行した中筋川付替工事に伴い、損失を受けた者を代表し、これが補償に関する契約の締結及びこれに伴う請求、受領に関する一切の権限を委任する。」旨の委任状(甲第一五号証)を提出していることが認められ、右文言によれば、原告ら地区住民の損害賠償請求権を放棄することに関する権限をも委任したものと解する余地がないではない。しかしながら、前記損失補償契約成立に至る経過に徴すれば、右委任の趣旨は、国から支給される塩害予防措置費二四九三万円を中村市長において請求、受領することに限定されていたものと認められる。すなわち、右損失補償契約に先立つて行なわれた国と中村市及び地区住民との交渉は、昭和三四年の覚書条項を削除することと、国から塩害予防措置費として二四九三万円を支給することの二点で妥結し、部落総会も、右削除の可否と右塩害予防措置費の使途方法につき住民の意思を徴すべく開かれたものであり、その後、右覚書は、前記昭和四六年三月七日に交された覚書により削除の合意が成立していたため、右損失補償契約の締結にあたり、解決を要する問題としては、右塩害予防措置費の請求、受領に関する処理のみが残されていた事情下にあり、しかも、原告は、委任状を提出するにあたり、あらためて部落総会の開催を求めず、従前の前記部落総会の意思に従つてこれをなしているものであつて、これらの経緯に照らせば、原告が委任状を提出した趣旨は、すでに大筋において決定されていた右塩害予防措置費の請求、受領に関する権限を委ねることに限定してなされたものと認めるのが相当である。したがつて、右委任状が存在するからといつて、原告らが過去・将来の損害賠償請求権を放棄する意思を表明したものとは認められない。なお、<証拠>中には、原告ら住民が損害賠償請求権を放棄したかの如き記載部分があるけれども、右記載部分は原告本人尋問の結果(第一回)に照らし措信できない。

以上のとおり、いずれにしても原告の損害賠償請求権が消滅したとは認め難く、他にこれを認めるに足りる証拠はないから抗弁は理由がない。

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